西成区千本北1丁目、まるたに酒店。
今日のブログはワインの話ではなく、ごく個人的な回想録なので、悪しからず。
エノテカビアンキのルーツであるまるたに酒店は昭和33年に創業した。
その数年前、大阪への大いなる憧れを抱いて、ウチのばあちゃん、さかえさんは奈良の山奥から大阪という都会へ出てきて、小さなたこ焼き屋を始めた。
都会はコワい人が多い。しばらくするとヤーさんらしき人が、「オイ誰のシマで店しとんじゃワレ!?」
つってイチャモンつけてきた。
身の危険を感じたさかえさんは早々と店をたたんで奈良へ逃げ帰った。
そんなさかえさんを周囲の人は、
「さかえはん、かんてき(七輪のこと)1個儲けて帰って来はったわ~。」
とか言ってからかったが、その言葉はさかえさんに、<絶対に大阪で一旗揚げる!>と決心させるに充分だった。
二度目の挑戦でさかえさんが職に就いたのが、冒頭に出てきた<和知万酒店>だ。
だから僕は、配達に出る時や戻ってくる時に必ず目にするこの酒屋さんを、直接的な関わりはないが、
どこか懐かしい感覚でもって眺めている。
時系列はわからないがさかえさんは、奈良からはるばる大阪まで出てきて、<行商>をしていたことがあるそうだ。
だから僕は子供のころから、「行商は商売の基本」と教えられてきた。
人と会って話し、納得して買ってもらう。
繰り返すことで信頼が生まれ、そこから商いは広がってゆく。
エノテカビアンキを経営して今年で丸17年になるが、創業当時からその考えは変わらない。
令和元年11月30日。
まるたに酒店は閉店した。
昭和、平成、令和と、三つの御代、60年の歴史に幕を閉じた。
母は晩年、こんなことを言った。
二人いるいとこは当時(今もだが)遠方で生活していて、
「あの二人が大阪に帰ってきたとき、いつ戻っても元気なまるたに酒店が僕らを出迎えてくれる。
そういう安心感を、あの子らに持っていてほしいねん。」
母のこの願いは、まるたに酒店においては潰えてしまったけれど、
ここから先はエノテカビアンキが引き受けよう。
店は構えていないが、元気な酒屋であることには自信がある。
2019年は、<動>の年だった。
実家の閉店だけでなく、シチリアとトスカーナへのイタリア出張、
富山と広島へのの出張など、物理的にもよく動いた。
きたる2020年もまた、<動>の年になることだろう。
そう意識しながらこの文章をつづっている。
まさか自分のルーツが、一年を締めくくるブログになるとはね。
みなさま佳い年をお迎えください。
そして来年も、エノテカビアンキをどうかよろしくお願い申し上げます。

ピエモンテのスプマンテが並ぶとはね。
~ 業務用イタリアワインなら! エノテカビアンキッ!!初心忘るべからず。エノテカビアンキの座右の銘です。~