パルゴロ2016。
この人は、だーれだ?
そう、<イタリアワイン・ルネサンスの父> としても過言ではない、
ジャコモ・タキスの娘さんだ。
昨夜は彼女を囲んでの晩餐会。
お会いするまでは、
「あの巨匠の娘さんやから、さぞ凄いオーラが前面に出ていて、
ワタシは、タキスの、娘、よッ!
待ち合わせのレストランに入って彼女の姿を見るや、その心配はすぐに消えた。
今の若い人の中には、<ジャコモ・タキス> の名を知らない人もいるかもしれないが、
サッシカイアやソライア、ティニャネッロ、更にはトゥッリーガやテッレ・ブルーネといったワインの名を、
知らない人はいないだろう。
「自分が創ったワインの中では、テッレ・ブルーネが一番好きだ。」
と話していたそうだ。
1970年代、トスカーナの貴族アンティノリは、当時無名だったサルデーニャ島からブドウを買うため、
土地をリサーチするべく島にタキスを派遣した。
タキスとサルデーニャの関係はここから始まった。
島の南部スルチスは当時、島で最も貧しいエリアだったが、
協同組合の<サンタディ> に働きかけ、アンティノリのために良質のブドウを造ってもらうよう取り計らった。
やがてサンタディはタキスの助言を得て、自分たちの上質なワインづくりを目指し、
世界を驚かせるワインがリリースされるなど、当時では考えられないことだった。
最愛のワインが テッレ・ブルーネ なのは、必然なのですね。
タキスは更に、島の個人経営者アルジョラスにも助言し、かの<トゥッリーガ>を創り上げた。
タキスがトスカーナ以外で、とりわけサルデーニャ島との関わりが大きいのは、こういった縁によるものだ。
「ところで、そんな父が仕事を終えて帰った時に飲むものって、何だったかわかるかしら?」
と彼女から質問。
「やー、そこまでサルデーニャを愛しているなら、島のヴェルメンティーノとか?」
あと、コーラも好きだったわ。 よく、『コーラは素晴らしい発明品だ!』
って絶賛していたの(笑)」
なんや 親近感湧きまくりのエピソードやね。
イラリアさんのカンティーナ、<ポデーレ・ラ・ヴィッラ> は キアンティ・クラッシコ・エリア、
サンカッシアーノ・イン・ヴァル・ディ・ペーザ にある。
普通、畑は南向きが最良とされるが、ここ10年、温暖化の影響で環境がずいぶん変わった。
当時良くないとされていた北向きのこの畑は、今やカンティーナで最良の畑になった。
現在は彼女、そして長年父のアシストをしていたアレッサンドロ・チェッラーイがエノロゴを務め、
サンジョヴェーゼとメルロのキアンティ・クラッシコ、「パルゴロ」と、
ピュア・メルロの 「ジャコモ」、このふたつのみを手掛ける。
「サンカッシアーノにはメルロが合う、のではなく、私の畑にはメルロが合うの。
実際、いちばん近くのカンティーナ、ポッジョピアーノでは、
コロリーノをブレンドしたキアンティ・クラッシコを造っているわ。」
と彼女。
また彼女は、「キアンティ・クラッシコ協会は大きくなりすぎた」 とも言い、
だから サンカッシアーノの造り手が30社ほどが集まる協会を発足した、と話した。
既にキアンティ・クラッシコのソットゾーナでそのような動きをしているエリアがある。
レ・チンチョレやフォントディが居を構える、<パンツァーノ>がそれだ。
やがて サンカッシアーノも、独自で創り上げた意識の高いワイン造りを実践し、
素晴らしいキアンティ・クラッシコの生産地として名を馳せることになるだろう。
そんな気概が、彼女から強く感じた。
今回の食事会では、彼女の造るふたつのワインを2ヴィンテージずつ、比較テイスティングさせて頂いた。
キアンティ・クラッシコ・パルゴロは、2013年と2016年。
ジャコモは、2014年と2016年。
毎年、このふたつのワインを合わせても生産量は6,000本程度とごく少量。
そして良くないと判断した年は、造らない (2014年と2015年、パルゴロは造られていない)。
サンジョヴェーゼの樹齢が高くなり、それに伴い質も向上したからだ。
それが正しかったということを、はっきりと感じることができる味わいだった。
強いワインは好きじゃない。
彼女は食事中、よくそう言った。
彼女のワインは、強くなくて、優しい。
彼女の口ぶりや人当たりそのものだ。
楽しい食事を終えて帰り際、彼女に、
「日本のイメージは変わったかい?」
とは聞かなかったが、
楽しそうに手を振って見送ってくれた笑顔を見て、聞くまでもないか、と安心した。
そうして心に余裕ができて、2軒目へと足を運びましたとさ(苦笑)
Grazie mille!! イラリアさん。
パルゴロ2016 そしてジャコモ2016は、今月末に入荷予定。
楽しみが、またひとつ増えた ♫
~ 業務用イタリアワインなら! エノテカビアンキッ!!造り手の笑顔を見るのが、好きだ。 ~