<クエルチャベッラ> レポート全文 & 美味しいお料理。
ウチのお客さんには既にレポートが届いていると思うが、その全文をアップします。
レポートには添付できなかった お料理の画像もアップしているので、レストランでのサーヴィスのイメージとなれば幸いです。
いくぜッ! ↓ (長いで。 悪しからず。)
~ クエルチャベッラ 来日レポート ~
トスカーナ州グレーヴェ・イン・キアンティの銘醸家クエルチャベッラから、セールスディレクターのジョルジョ・フラジャコモ氏が来日、セミナーと夕食会に参加しました。そこで感じた同社のスゴさと、なぜこれほどの長きにわたって世界で愛され続けるのか、体験したことをレポートします。
~ クエルチャベッラ ~
1974年、ジュセッペ・カスティリオーネによってグレーヴェ・イン・キアンティに創立。その後、現当主セバスティアーノへ世代交代するまでに、ラッダとガイオーレの畑を購入。更に、‘95年から‘97年にかけて南トスカーナ、マレンマの畑を購入した。
引き継いだセバスティアーノは極度な自然保護主義者であり、その自然に対する畏敬の念が、彼をビオロジック、ビオディナミ農法へと導く。
ビオロジックには、EUがその農法を認める8年も前の1988年に実践し始めたが、当時、周りからは気違い扱いされたという。
ビオディナミについては、ブルゴーニュのロマネ・コンティ、フェヴレ、ルフレーヴなど名だたる造り手がその農法を踏襲していたため、90年代末に採り入れた。
同社にとってのビオディナミは、生物多様性を尊重することで、とりわけ土中に存在する菌類とブドウの根との共生に重点を置き、それを促すことで地中深くへ根を伸ばすことに注力する。ブドウ畑には27種類もの植物が植えられており、ブドウ樹に必要な養分をそれらの植物から得ることで、薬物に頼らない自立したブドウ樹であり続ける。
つまり同社では、ビオロジックやビオディナミはブームで始めたのではない。むしろイタリアにおいてはその先駆けとしても良いくらいだが、同社はそれを声高に宣伝しない。
彼らが実践しているビオロジックやビオディナミは、手段であって目的ではない。
「最高のワインを造ること」が真の目的である彼らからすれば、この選択はごく自然なことであったのかもしれない。
彼らの採る手段としてもうひとつ、特筆すべき点がある。
それは、「酸」についての考え方だ。
同じ赤ワインでも酸の表現法に最も長けているのは、ピエモンテ州を措いて他にない。
クエルチャベッラは標高が高く酸を伴うキアンティ・クラッシコであることから、良質な酸の引き出し方を、バローロの雄、ヴィエッティに求めた。セバスティアーノは常々、ヴィエッティのワインを高く評価していて、それはバローロだけでなくドルチェットやバルベーラにおいても、酸の表し方が素晴らしいと語る。
同社は2010年からヴィエッティの醸造家のアドバイスを受け、良質の酸を伴ったワイン造りを始めている。
(ちなみに、ヴィエッティも同じインポーターが扱っていますがこれは単なる偶然です。)
~ キアンティ・クラッシコ ~
カンティーナのあるグレーヴェと、ラッダ、ガイオーレの畑からのサンジョヴェーゼをブレンドして造る。これら複数の産地の畑を所有している造り手はほとんどなく、たいていは、ひとつの所有する畑からのブドウを使って、そのエリアの優位性を唱えるが、クエルチャベッラは、エリアよりもキアンティ・クラッシコそのものの表現に努める造り手である。
通常12~16カ月の木樽での熟成、6~12か月の瓶熟成を経るが、木樽熟成はワインに木の香りを付けるためのものではない。
2014年ヴィンテージは悪天候の為、グレーヴェとラッダの畑からはほとんど収穫できず、ガイオーレのサンジョヴェーゼを主に使用した。例年よりもエレガントな年となり、クエルチャベッラの特徴である「さくらんぼ」のニュアンスよりも、ガイオーレの特徴である「ブルーベリー」を強く感じるキアンティ・クラッシコとなった。
~ キアンティ・クラッシコ・リゼルヴァ ~
元々このワインは、「3つのグラン・セレツィオーネ」の構想の結果造られたもので、そのため実質の中身はグラン・セレツィオーネである。しかしながらそれを名乗らなかったのは、理由がある。
グラン・セレツィオーネが制定された時、当主セバスティアーノは3つのグラン・セレツィオーネを創ることを考え、実際に申請して、許可が下りた。
同社が考えたのは、所有する3つのエリア、「グレーヴェ」「ラッダ」「ガイオーレ」それぞれの名を冠して、グラン・セレツィオーネを造ること。
グレーヴェのものには、「ルッフォリ」、
ラッダには、「オアジ」、
そしてガイオーレには、「サン・ポロ」と。
それぞれのエリアを如実に表現した最高のワインたちだった。
そうしてそれを改めて申請すると、なんとこれが、認められなかった。
それぞれの名を付けてグラン・セレツィオーネを造ることが認められないらしく、激怒したセバスティアーノはそれら全てをブレンドし、「リゼルヴァ」としてリリースした。本来名乗ることができるにもかかわらず、それをしなかった。
ジョルジョ氏は、
「今後、クエルチャベッラがグラン・セレツィオーネを造る時は、畑名を名乗ることが許された時だ。」
と言って、事実上、現在の規定ではグラン・セレツィオーネを造らないことを宣言した。
そしてこれが、1999年を機に造るのをやめたリゼルヴァの復活となった理由でもある。
~ バタール ~
このワインは、今も顧問としてクエルチャベッラに所属しているグイド・デ・サンティ氏の計らいによって創られたもの。氏はクエルチャベッラ黎明期に活躍したエノロゴであり、同社の名を世界に知らしめた立役者の一人でもある。
モンラッシェ、とりわけバタール・モンラッシェに目がない当主セバスティアーノは、海外出張から帰ると必ずカンティーナでモンラッシェを愛飲していた。
クエルチャベッラには創業当時から、いつ、誰が植えたのかもわからないピノビアンコの樹があった。自分のカンティーナで白ワインを造ることを考えてもいないセバスティアーノは1988年、グイドに、植わってあるピノビアンコを抜いてサンジョヴェーゼに植え替えるよう指示し、また海外へ旅立って行った。
そしてグイドは、彼が、モンラッシェの愛飲家であることを知っていた・・・。
グイドは当主のその指示に従わず、いつ誰が植えたのかわからないピノビアンコを収穫し、カマルティーナの樽に入れて造った。そうしてできたワインをセバスティアーノにブラインドで飲ませ、大いに唸らせたのだとか。
ワイン評論家としては辛口で知られていた故ルイジ・ヴェロネッリをして、「サッシカイア・ビアンコ」と言わしめたこのワインは、今も世界に熱烈なファンを持つ。
~ カマルティーナ ~
スーパートスカーナの時代を牽引したワイン。ファーストヴィンテージは1981年。
昔のワイナート「超トスカーナ!」を見てみると、サンジョヴェーゼ75%にカベルネ・ソーヴィニョン25%(1995年)であったが、現在はカベルネ・ソーヴィニョン70%、サンジョヴェーゼ30%。
このカマルティーナを造るブドウが植樹されたのは、1974年。
そう。クエルチャベッラの創業年と同じだ。カマルティーナはクエルチャベッラ創業当時からすでに構想が練られていたワインであり、突発的な発想で創られたものではない。
だからこそ、同じ考えを共有するイゾーレ・エ・オレーナの「チェッパレッロ」や、モンテヴェルティーネの「レ・ペルゴレ・トルテ」と並び称さられるスーパートスカーナであり得るのだ。
~ アッビナメント ~
リストランテ・ブルーノ・デル・ヴィーノにて
キアンティ・クラッシコ2014
<前菜> 奄美大島産クロマグロのコンフィ タプナードソース
トゥルピーノ2010
<魚> スズキのロースト エシャロットコンフィと酸味のある赤ワインソース
カマルティーナ2011
<肉> 骨付き仔牛のオッソブーコ
バタール2014
<パスタ> 桃、フルーツトマト、オマール海老のカペッリーニ
~ 終わりに ~
今回のセミナーの講師、そしてディナーのホストであったジョルジョ氏は、それはそれは物腰の柔らかい、しかしワインは熱く語る、料理をこよなく愛する紳士だ。
料理が運ばれてきてその香りを嗅ぐや、熱く語っていた口調はたちまち柔らかく静かになり、こどものような笑顔で、
「続きは、食べ終わってからにしよう。ボナペティートォ♬」
とくる。運ばれてくるごとにこれが展開されるわけだから、笑わずにいられなかった。
そして彼はこうも言った。
「何から何まで全て自分たちのやり方でやるのではなく、品質向上のために有効と思えば、ピエモンテの醸造家も招くしビオディナミも採り入れる。
ワインは食事と同じ。
だから食卓にワインがないのは、その日一日、太陽が昇らなかったようなものだ。
美味しい料理と美味しいワイン、そこに音楽と芸術があれば、他は何も要らないじゃないか。
僕たちは、その美味しいワインを造るために、いかなる努力も惜しまないよ。」
~ 業務用イタリアワインなら! エノテカビアンキッ!! 生の声は説得力がちゃうねん。 それ大事よね。 ~