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エノテカビアンキのブログ

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イタリアワイン

歴史は語る。


 テッラクルーダの続きを書くとしよう。
 先言うとくけど、長いでw

 ルカさんが来られた時のブログは、→ コチラ!

 「続き」 というよりは、「番外編」 というべきか。
 ワインに直接関係はないが、古代ローマとルネサンスを経たことが、イタリアが 「世界遺産登録世界一」 たる所以であると信じている僕にとっては、記しておきたいことなのよねぇ。

 ここで綴るのは、先に記した、ビアンケッロ・デル・メタウロ の コンソルツィオ(協同組合)のエンブレムが何故、「象」なのか、
 また、テッラクルーダ のエンブレムの由来について。
 そして、中世に生まれた 「ヴィショラ」 という甘美なお酒が、何故現代まで残っているのか?

 これらにスポットを当てる。
 ね? 番外編、やろぉ?

 まず、コンソルツィオ のエンブレムは何故、「象?」 について。
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ビアンケッロ・デル・メタウロ のエンブレム

 これは紀元前にまで歴史を遡る。
 紀元前218年。 大国カルタゴ (現チュニジア) の武将 ハンニバルが、イタリア半島を侵略した、「第二次ポエニ戦争」。
 ハンニバル はイタリアへ4万の兵と 30頭の戦象 を従えて、なんとアルプス山脈を越えてローマを脅かしたという史実。
 アルプスを越えられた象はわずか3頭、とウィキペディア に書いていたが、その生き残りの少なくとも1頭の骨が、テッラクルーダのワイン産地、メタウロ川 近くで出土したことから、象が、しかも 「戦象」 がエンブレムとなった。
 壮大やね。

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テッラクルーダのエンブレム

 なんや カッコええなぁ。
 これは、「アンフォラを運ぶフクロウ」 がモチーフとなっており、アンフォラはここの名産、テラコッタで作られた ワインを貯蔵する甕(かめ)。
 フクロウは 幸福のシンボル そして、古代ギリシャでは、女神アテナ のシンボルでもあったとか。
 そしてそれを取りまく 「円」。
 何故 「円」 なのかというと、さぁさぁ それやがな。
 テッラクルーダの畑の近くには 麦畑があって、なぜか毎年 うまく育たない箇所があった。
 その育たない箇所を空から眺めてみると 不思議なことに巨大な 「円」 になっている。
 調べてみるとそこからなんと! 古代ローマ時代のものと思われる遺跡が発見されたのだとか。
 ここもまた、古代ローマと密接な関係がある場所なのね。


 そして、ヴィショラ。
 ブドウ畑の周りにはたくさんのサクランボの樹が茂る。7月に収穫されたサクランボは、特産の赤ワイン、アレアティコと砂糖を加えた、「ヴィショラ」 と呼ばれる甘美なデザートワインとなる。
 実はこの ヴィショラのレシピ、中世のルネサンス期から 脈々と受け継がれている伝統ある飲み物なのだ。
 そのレシピを残したのが、当時はウルビーノ公国という国の君主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ という人。
 公国 といってもウルビーノは小国で、フェデリーコは、ヴェネツィアやフィレンツェの傭兵隊長として活躍し、負け知らずの名将として名を馳せた。
 こんな逸話がある。
 ある時、槍試合で片目を失った彼は、鼻が高いために視野が極度に狭くなってしまった。 このままでは戦で不利になると考えた彼はなんと、自分の鼻を削り取って 視野を確保したのだとか。 そこまでしたからこその、負け知らずの名将、だったのね。
 しかし フェデリーコは、勇敢な武将とは別の顔も持っていた。
 古典文芸を愛し読書家で、その蔵書は ヴァティカン図書館をも凌ぐほどと言われ、当時、このウルビーノが ヨーロッパでもっとも洗練された宮廷と賞された。
 ルネサンスは芸術や文芸だけでなく、料理においても花開いた。
 現代では当たり前の 「レシピ」 も、このルネサンスを機に作られるようになり、後世に伝えられるきっかけとなった。
 ヴィショラはまさに、その時代の産物なのだ。
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ヴィショラ (テッラクルーダ)

 優美な食後、ルネサンスを感じてみては、いかがかな?


業務用イタリアワインなら! エノテカビアンキッ!! 歴史になぞらえると、ワインはもっと美味しくなるで。~


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by enotecabianchi | 2017-03-06 23:02 | 歴史もの。 | Comments(0)